2023年3月29日にヘアサロン『apish(アピッシュ)』代表の坂巻哲也さんが亡くなりました。
坂巻哲也さんは、2000年頃に流行した“カリスマ美容師ブーム”をリードする存在として一世を風靡。
以前より闘病中だったということです。
坂巻哲也さんはどのような病気を患っていたのでしょうか。
目次
坂巻哲也の死因は癌?病気について調査
現時点で、坂巻哲也さんの死因や病気について詳しい情報は明らかになっていません。(2024/04/08時点)
坂巻哲也さんは、かつて自身が24歳の時に悪性リンパ腫を患ったことをSNSで公表しており、長い間病気と戦っていたことが明らかにされています。
坂巻さんの公式YouTubeでも幼少期から自身の体の弱さについて語っています。
上記の動画「【波乱万丈人生】たくさんの苦難を乗り越えて今がある!実は社員も知らない話✨」で語られた、幼少期からの体調不良についてまとめました。
時期 | 健康問題 | 治療・対応 | 影響 |
---|---|---|---|
小学生時代 | レントゲン検査で異常発見 | 約6年間にわたる注射と飲み薬の投与 | 運動会では応援係を担当 |
成人後 | 軽い炎症と診断、お腹にしこり発見 | 抗生物質の処方、症状の悪化による再診 | 健康状態の悪化、深刻な問題の示唆 |
坂巻哲也さんは幼い頃から体が弱かったため、小学生時代は運動会への参加が制限されました。
直射日光を避ける場所で紅組でも白組でもない帽子をかぶって応援を担当していたそうです。
成人後も坂巻哲也さんは健康問題に見舞われました。
腹痛のため病院で診てもらうと「軽い炎症」と診断され抗生物質を処方されましたが、症状は改善せず。。
その後、お腹にしこりがあることが判明しました。
このしこりは最初、腫瘍や他の重篤な病状ではないと考えられていました。
しかし、症状の悪化と体調の急速な悪化により、坂巻哲也さんは再び病院を訪れたところ、ステージ4の癌と診断されました。
坂巻哲也は25歳から癌治療をしていた
24歳でステージ4の癌と診断された坂巻さん。
当時、ステージ4でリンパ腺にも転移していたと言います。
一般的に、若い人ほど癌が進行しやすいとされていますが、坂巻さんは医師からも「よく生還したね」と言われるほど、当時の病状は極めて深刻でした。
それにもかかわらず、坂巻さんは癌治療に強い意志で挑みました。
25歳で治療を開始し、「10年経って再発しなかったら次の人生を考えよう」という前向きな決意のもと、抗がん剤治療などの厳しい治療を耐え忍びました。彼は「復活する」という信念を疑うことなく、絶対に克服できると信じ続けました。
坂巻哲也の癌|治療を続けて10年後に寛解状態へ
坂巻さんの強い信念と治療への取り組みが実を結び、10年後には癌が寛解状態に至りました。
寛解とは、病状が治まり、穏やかな状態を指します。
完全に治ったわけではありません。そのため、再発の可能性は常に存在します。
坂巻さんの物語は、極めて深刻な癌の診断を受けたにもかかわらず、絶望を乗り越えて前向きに治療に臨み、10年という時間をかけて病状を大きく改善させました。
しかし、寛解状態にあっても、再発の危険性は残ります。
坂巻さんの経験は、癌との闘いがいかに困難であっても、希望を持ち続ける重要性を教えてくれます。
アピッシュ坂巻の病気との向き合い方
幼少期に自分の体が弱かったことで運動会に参加できなかったり、他の子と同じように遊べないことが辛かった坂巻さんは父親を責めてしまったそうです。
そのときに父親から、テニスプレーヤーアーサー・アッシュの言葉を教わり、それをずっと心の支えにして辛いときを乗り越えていたそうです。
その言葉がこちら。
アーサー・アッシュは人種差別を受けており、テニスの試合にも出られない状況でした。
それでも、ボロボロのテニスボールを使って砂利道でテニスの練習をするなど、とても練習環境が整っているとは言えない状況ながらも
と強い思いを持って必死に努力を続けました。
そして、ついに夢が叶います。
大会 | 成績 | 年 |
---|---|---|
全仏オープン | ベスト8 | 1970, 1971 |
ウィンブルドン(全英オープン) | 優勝 | 1975 |
全米オープン | 優勝 | 1968 |
優勝回数 | 3(豪1・英1・米1) |
試練を乗り越えてスター選手になった、アーサー・アッシュの活躍に感銘を受けた坂巻哲也さんは、「いま自分が体が弱くても、自分ができることをやろう」と思って、前向きに生きることができたと言います。
坂巻哲也さんは2023年3月29日に亡くなりました。公式サイトの声明によると、坂巻さんは生前、もう一度現場に戻ってお客様を担当したいという強い願いを持っていたそうです。
残念ながらそれを叶える前にこの世を去りました。
しかし、坂巻さんの意思と技術はapishを守るスタッフに受け継がれ、彼らは引き続きサロンを運営していくことを宣言しています。
坂巻哲也さんの死は、美容業界にとって大きな損失ですが、坂巻さんの遺した技術と精神は、育て上げたスタッフを通じて生き続けます。
坂巻哲也さんの生き方や挑戦は多くの人々に影響を与え、今後も記憶に残り続けることでしょう。
坂巻哲也さんの病気療養についてネット上やSNSの声・意見
ビューティーコロシアムで活躍されていたカリスマ美容師の坂巻哲也さん、ご逝去されました。ご冥福をお祈りします。63歳は若すぎます。
— ちぃ (@qIL62KVmbv1UR4g) April 8, 2024
坂巻さん亡くなられたのね。
ビューティーコロシアムでは、大変お世話になりました。技術も上手くトーク力もあって素敵な方でした。
ご冥福をお祈りします🙏 pic.twitter.com/w9iJwUVmMC— mAsako_chacha (@masasa627) April 8, 2024
そうそう!apishの坂巻さん!!!!
ビューティーコロシアムめっちゃ観てた👁️
病気だったの知らなかったけど、まだお若かっただろうに…😔— ぐり🧢🤍さももん🍋🦖JJ前方抽選当たる🎯🎯🎯 (@gurichi_besty) April 8, 2024
坂巻哲也さん、今年の正月の動画見たけど昔と変わらずとてもお元気そう。まさか病気療養中だったとは……ご冥福をお祈りします。
— Kotaro (@Chester320SR) April 8, 2024
まとめ
坂巻哲也さんは、2000年代初頭のカリスマ美容師ブームをリードする人物であり、美容業界で広く知られていました。
坂巻哲也さんの死についての情報は限られていますが、生前に公開された情報によれば、坂巻さんは幼少期から健康上の問題を抱えていたことが明らかにされています。
小学生の頃には異常が見つかり、約6年間にわたって治療を受けていたとのことです。成人後も、軽い炎症とお腹のしこりが見つかり、抗生物質の処方を受けていましたが、症状の悪化によりステージ4の癌と診断されました。
坂巻さんは、24歳で悪性リンパ腫を患っていたことをSNSで公表しており、長い間病気との闘いを続けていました。
治療を始めたのは25歳の時で、「10年経って再発しなければ次の人生を考えよう」という前向きな姿勢で抗がん剤治療などの厳しい治療に挑みました。その結果、10年後には癌が寛解状態に至りましたが、再発の可能性は常にありました。
坂巻哲也さんは、2023年3月29日に亡くなりました。61歳でした。
坂巻さんは美容業界において大きな影響を与えた人物です。
坂巻さんが遺した技術と精神は、育て上げたスタッフを通じて引き継がれています。
坂巻さんの生き方や挑戦は、多くの人々に影響を与え、記憶に残り続けるでしょう。