かどにゅう集落(旧徳山村)について。岐阜県にある門入集落の歴史や行き方をまとめました。
2019年10月14日(月)21時〜放送の『世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~』。
14日は「特別企画!日本ナゼそこに!?「交通困難地」に住むスゴい人」が放送されます。
今回、交通困難地として紹介される場所は、岐阜県の「門入集落」です。
門入集落は、「かどにゅうしゅうらく」と読みます。
どんな場所なのか調べてみました。
目次
門入集落(かどにゅうしゅうらく)旧徳山村とは
岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧・徳山村)にある門入集落。
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車も通れない。
電波も入らないところ。
コンビニやスーパーなどもちろんない。
険しい山道を歩かなければここには門入集落。まさに「交通困難地」!
しかし、そこ(岐阜県の旧徳山村の門入集落)に暮らす方がいるんだそうです。
最近では、若い夫婦や若者が田舎に移住するというケースも多いですが、今回番組で紹介された住人は老夫婦です!
病院も介護施設もない場所で、老夫婦が暮らすのは難しそうですが、なぜ旧徳山村の門入集落(かどにゅうしゅうらく)に住んでいるのでしょうか。
そこには驚きの理由がありました。
その理由は、この土地ならではの歴史が関係しています。
まずは、旧徳山村の門入集落(かどにゅうしゅうらく)の歴史をみていきます。
旧徳山村の門入集落(かどにゅうしゅうらく)の歴史
今でこそ、住人が見当たらない門入集落(旧徳山村)ですが、昭和59年ごろの徳山村には1586人もの人が住んでいました。
昔はたくさんの人が住んでいたのですね!
しかし、現在その徳山村は存在しません。
理由は、「徳山ダム」の建設のためでした。
自然豊かな徳山村
揖斐川の最上流部にある門入集落(かどにゅうしゅうらく)含む徳山村はとても自然豊かな場所です。
夏は林業を中心とし、冬は周囲を1000m級の山々に囲まれ豪雪地帯となり陸の孤島とも呼ばれていました。
そのような環境から、徳山村の方々は縄文時代から続く特有の山村文化や習俗が残っており、昭和に入ってからも民俗学的にも注目されるほど自然植物との関わり深い生活をされていたそうです。
徳山ダム建設により徳山村は湖底に
「徳山ダム」の建設が決まってから、徳山村の状況は変わっていきます。
国の基礎的治水に必須の大規模ダムの計画が全国的に進行した昭和30年代。
平穏な暮らしをしていた旧徳山村の方々と交渉の上、集落に至る道路が水没してしまうことを前提に補償がされ、1984年(昭和59年)に徳山ダムを建設するためにそれまでの住民は村を離れ始めました。
さらに、1987年(昭和62年)には藤橋村に合併。藤橋村は現在、揖斐川町(いびがわちょう)となっています。ここは、釣り好きやキャンプ愛好家がよく訪れています。【楽天たびノート】「揖斐川町」の観光スポット21件!
2001年(平成13年)になると、合併前から住んでいた村民はほとんど村を離れてしまい姿を見ることはほとんどなくなりました。
その後、徳山ダムは2008年(平成20年)5月に完成し、徳山村の可住区域はダム湖(徳山湖)に水没しました。
ひとつの行政区域である村全体が丸ごと消滅して地図から消えた事例は他には無いと言われているそうです。
旧徳山村のほぼすべての集落はは徳山ダムの湖底になりましたが、最奥で、標高が高い門入だけはそれを免れたわけですね。
門入集落(旧徳山村)はアニメ『ひぐらしのなく頃に』のモデルになった?
旧徳山村はアニメ『ひぐらしのなく頃に』のモデルになったのではないか?とファンの間で噂されていたことがあります。
『ひぐらしのなく頃に』で岐阜県白川村がモデルとなっていますが、一部では、揖斐郡旧徳山村(ダムにより水没)も舞台になっていると噂になっていました。
実際のところ、、旧徳山村はモデルに使われていません。
原作でモデルとなったダムは徳山ダムではなく、御母衣ダムです。実際に原作の風景にダム工事現場や記念碑が出てきます。
作中の「鬼ヶ淵死守同盟」は「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」から来ていると考えられます。
ちなみに、「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」の死守会の実質的指導者も女性らしいです。
ただ、似ているところが1つあります。
ダム建設で湖の底に沈み村がなくなるという設定は、旧徳山村と非常に似ています。
この部分を参考にしている可能性はあります。
そのシーンは、「賽殺し編」に出てきます(^_^)
よかったら読んでみてください。
私は小学生〜中学生時代にどハマりして読んでいました!!
なぜ門入集落(かどにゅうしゅうらく)に住人がいるの?
「世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝」で紹介された旧徳山村の門入集落(かどにゅうしゅうらく)。
なぜ、現在もここで生活する人がいるのでしょうか。
実は、一年中生活しているのではなく、冬期以外(4~11月)のみここで生活しているそうです。
理由は、故郷を守りたいから。
山奥で行きにくい場所ではあるけれど、自分たちの故郷はここ。
故郷の場所が変わることはない。
だから、この場所を守りたいという思いが彼らにはあるのです。
美しい自然と静けさ、星がこぼれてきそうな満点の星空。
ここにしかない、かけがえのない時間があるのが魅力だと、住民は語ります。
徳山ダムの建設について
徳山ダムは揖斐川最上流部に建設された独立行政法人水資源機構が管理する日本最大級のダムです。
総貯水容量は6億6,000万m3にものぼり、日本一を誇ります。
水害常襲地帯である揖斐川の治水および東海3県の水がめとして建設されました。
揖斐川は水害が多く、昔から多くの治水工事が繰り返されてきました。
しかしならが根本的な解決とはならず、揖斐川の治水は流域住民の悲願でもありました。
ですが、ダム建設に伴い徳山村全村が水没することから反対運動なども当然激しく、ダムが完成した現在でも必要性についての議論が続いています。
門入集落(旧徳山村)への行き方は?
徳山湖により交通が遮断されている門入集落ですが、アクセスがまったくでいないわけではありません。
方法は2通りあります。
1)ダム湖をボートで渡る
国道417号線を走ると「徳山湖」に出ます。その湖を船で15分ほど進むと集落に行くことができます。
ただ、このボートは関係者しか使えません。
一般の人がこの方法を使うことは困難です。
そこで、もう一つの行き方は・・・
2)ホハレ峠から歩いて向かう
ホハレ峠から地道に歩いて集落に向かう!!
これは、体力勝負になりますが、一般の方でも確実にたどり着くことができる唯一の方法です。
ホハレ峠って、不思議な名前ですよね。
「大きな荷を背負って峠まで登ると頬が腫れてしまうほどだった」ことから、ホハレ峠という名前がつきました。
ホハレ=頬が腫れる
だったんですね。
門入集落に行くまでには、ホハレ峠の山道を5キロ歩く必要があります。
順調に歩いても3時間はかかります。
5キロなのに、そんなにかかるの?と思われそうですが、険しい山道なのでここまで時間がかかるのですね。。
道中は、かなり厳しいです。また、近くに病院などもないですし、家もありません。電波も通らない場所なので助けを求めても、助けてもらえるか・・・というほどの場所です。
安易に行こうとしないほうがいいです。
道中には、ぼろぼろの橋を渡らなければならなかったり
道が悪すぎてロープを頼りに進まなければならなかったりと、
危険極まりないポイントがたくさんあります。
スマホでグーグルマップを見ながら歩くということもできません。
季節によっては熊が出ます。
そういった危険を乗り越えなければ、集落には入れません。
ヘリコプターで移動するのが一番安全かと思われます。。。
門入集落(旧徳山村)の現在の様子!
現在の門入集落には、定住している方はいません。
村民の方は全員離村しているからですね。
しかし、冬以外の季節であれば人に会うことができるかもしれません。
なぜなら、過去に離村した元住民の中には現在もここの土地の所有権を持っている人がいます。そこに山小屋を建て、暖かい時期だけ滞在している方がいるのです。
険しい道のりを超えて、集落の整備をするために来ている方もいます。
いまだに、自分の故郷を大切にしているのですね。
現在は、門入集落にもともとあった神社、小学校などは全て解体されています。
元住民が建てた山小屋があるくらいです。
門入集落のライフラインは?
水資源機構の設備があり、電気と電話は通じているようです。
なので滞在することが可能になっています。
揖斐川町の旅館や観光スポット
旅館もありました!!
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歴史ある寺院やキャンプ場があります。
原木天然栽培の椎茸が味わえるお店もありますよ♪
おしまいに
ここまで、10月14日(月)の世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~で紹介される門入集落についてまとめました。