清風高校のカンニング事件について。
SNSでは学校側の対応は「妥当だ」「卑怯者と言われるのは自業自得」という意見もみられます。
清風高校のカンニングは自業自得?
清風高校は厳しい校風で知られています。
そのためなのか、カンニングで「卑怯者」と指導されたのが自業自得だという声がいくつか見られます。
Xで清風高校の指導(ペナルティー)はやり過ぎか?甘すぎか?というアンケートがあり、その結果を見ると妥当が40.4%と最も多かったです。
清風高校2年生自殺のトリガーとなったペナルティー(全教科0点、写経80枚、反省文、教師からの叱責)は
— マシュニャロ(=^・・^=)/おふとん⌬ (@f02_2) March 22, 2024
世間の声も、なかなか厳しいものが多い様子。
普段からカンニングの指導受けてた上でカンニングするだけでもアホなのに、それで自殺して指導がおかしいとか言われる教師が不憫やわw
生徒の遺族が大阪・清風高校を提訴 「行き過ぎた指導」と #FNNプライムオンライン #関西テレビ https://t.co/UqdARK1T0g
— おじ (@MushokuOzi) April 9, 2024
卑怯者と言われるのは仕方ないと思う。実際多数の教師に囲まれて指導される状況はこの高校だけじゃなくてもあり得る話。
清風高校は厳しい校則内容に関して誓約書があり、その同意の上の入学で両親も知ってる前提で成り立ってる。
それを踏まえて提訴してるのか不明
知らなかったらお門違いかなと思う https://t.co/yXzitPCDFL— 乃木坂大好き たっちゃん (@tacchan_takkyu1) April 8, 2024
「卑怯者と言われるのは仕方ない」
「実際多数の教師に囲まれて指導される状況はこの高校だけじゃなくてもあること」
などなど。
さらに、清風高校は厳しい校則内容に関して誓約書があるそうで、その厳しさに同意の上で親は入学させていると。
どうやら、清風高校はもともと厳しい指導をするのは前提で保護者も納得の上で子供を通わせている、というのが学校を知る人からすると常識のようですね。
副校長がカンニングなど不正行為の警告をしていた
清風高校では朝の訓示という副校長の話を15分ほど聞く時間が毎朝あります。
そこでは「カンニングは卑怯者がすること」と生徒にカンニングの不正行為を繰り返し警告していたとのこと。
今回の事件で話題になった生徒が特別異常な指導を受けたというよりも、日頃から「卑怯者」というワードを使っての指導が行われていたようです。
毎日の刷り込みがあったからこそ、罪の重さを非常に強く認識して思いつめてしまった可能性も考えられます。
カンニングは不正行為ですし、厳しい校風の学校ということで、清風高校として想定範囲内の叱責をされてしまう状況は避けられなかったかもしれません。
また、学校側は生徒によって指導の内容を変えるのが難しかったり、強固な規則の縛りがあって柔軟には対応できない事情があったかもしれません。
しかし、生徒はそれぞれ違う人間で、性格も心の強さも違うので、同じ指導をしても生徒がどう捉えてその後どう行動するかはその子次第なのかもしれません。
学校としても反省は促すけど、生徒はみんな大切な存在だと思うので。。
叱責のあとのケアみたいなのは学校側から、もしくは同席していた親御さんからなかったのかな、とは思います。。
なお、今回の生徒に対する罰則は特別に重いわけではなく、複数の生徒がこの訓示を受けた後、謹慎処分を経て学校に復学しているということです。
清風高校のカンニングに対するネット上やSNSの声・意見
清風高校の件
学生がルール違反をした事に対し
校則生活指導の
ペナルティが課せられるのは当然学校は複数教師の長時間圧迫
卑怯者呼ばわりする人格否定は
仏教の教えにも背く親は偏差値進学実績だけで
入学を決め
厳格な教育方針と本人の適性耐性を
見誤り入学すべてミスマッチの積み重ね。
— ちちんぷいぷい最強伝説@御代の御宝。 (@puipui_sansan) April 8, 2024
#清風高校 #カンニング
今回のが特別厳しいとは言えない。しかし挽回するチャンスを与える指導をしたという話が聞こえてこない。人間は失敗から学ぶ事の方が多い。してはイケナイの分かっていてもした背景を共有し、挽回する方法を一緒になって考え絶望から前を向かせる指導を親も教師もしたのか?— 桜涼 (@Wetz5wYjd811IC0) April 8, 2024
まとめ
今回、清風高校でおこなわれた生徒指導は最悪の結果を迎えました。
学校でのカンニング行為に対する方針、罰則の一貫性とその影響、そして生徒の精神的な健康への配慮の必要性については対応が問われるところです。
同時に、学校、生徒、そして家庭がこのような問題に対してどのように対応すべきか、そしてそれぞれの責任の所在についても考えさせられます。